ようやく秋の訪れを感じられるようになりました。
ポーランドでは1年遅れで第18回ショパン国際コンクールが
開催されています。
昨日 第二次予選の結果が発表されたのですが
友人の妹さんが大々的に押していて
次の優勝者は牛田智大さん と断言していたので
結構興味を持って追っていましたが
第二次で落選してしまったので
さぞかしがっかりしてるだろうなあ~と思いました。
私は一度テレビで演奏しているのを一度
聴いたことがあるだけだったので
その印象では
「とてもとても上手だと思うけれど
うわ~っと心がわしづかみにされるような印象は
受けなかったなあ~
世界には あのくらい弾けるピアニストは
結構いるんじゃないかなあ?」
と天邪鬼な私は そのとき彼女に言いました。
個人的にコンクールはあまり好きではありませんが
若手音楽家が羽ばたくためには
必要なツールだと思います。
ただ コンクールの一位イコール世界での活躍
ではないことも事実です。
私が英国遊学中 1980年と1985年に
2回のショパン国際コンクールがありました。
1980年の第10回コンクールでは
ダンダイソンが ベトナム人として初優勝しました。
ベトナムの方ですが 長くフランスで研鑽されていたようですね。
でも その年のスキャンダルはなんと言っても
当時 紅顔の美青年だったポゴレリッチが落選したことで
アルゲリッチが審査員を降りたことですね。
その後 ロンドンのロイヤルフェスティバルホールで
アルゲリッチがコンチェルトを弾く予定の演奏会があったのですが
彼女はドタキャン 替わりにポゴレリッチが代演したのですが
全てはお膳立てしてあった公演だったと思います。
なぜなら ホールでは彼のポートレートなどがたくさん飾られ
さながら写真展の様相で
ギリシャ神話に出てくるような
布一枚でほぼ半裸みたいな写真まで(@_@)
あんな演奏会は 初めてでしたね。
ずいぶん年上の自分の師と結婚してる とか
アルゲリッチが審査員から降りた とか
痩身の美青年だった とか
いろいろなことから話題を呼び
残念ながらあの当時 ダンタイソン氏の影は
とっても薄かったです(>_<)
1985年の優勝者ブーニンは
「は??」
ってくらい人気が無くて
ロンドンで演奏会したのかなあ?
日本ではすごいブームを巻き起こしたようですが
イギリスは コンクールで優勝したとしても
聴衆の耳を唸らせないと成功できないところですし
コンクールなど出ていなくとも
演奏家を聴衆が育てていくという文化の国なので
(多分 欧州はどこもそうかも!?)
一位になったからと言っても
そんなカンジです(^^;)
ポゴレリッチは
しばらく演奏していなかった期間もあったようですが
最近は 恰幅の良いダンディなおじさま風になって
ステキなバッハを弾いていますね♪
チャイコフスキーコンクールなんかでは
当時 友人の恩師が審査員として行って
アメリカの油田王風の人に
「2万ドルで娘に一票!」
みたいに言われたけれど断ったハナシとか
いろいろ聞きましたよ。
結局のところ コンクールに一位になったことは
到達点では無いということですね。
聴衆を魅了する演奏を続けることができる演奏家が
生き残って行くのだと思います。
その点 コンクールの結果にかかわらず
多くのファンを魅了している音楽家が
ある意味 真の優勝者なのではないかと思う次第です。
なので 友人の妹さんには
何もがっかりすることは無いとお伝えしたいと思います(*^_^*)♪